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2011年6月21日火曜日

「獏さんがゆく」

 ひとに勧められて読みました。


 詩人の茨木のり子さんによる、沖縄出身の詩人山之口貘の評伝を、詩とともに収めた本。

 この本の扉に書かれた次の一文が印象的です。

生涯、貧乏神をふりはらうことができず、借金にせめたてられながらも心はいつも王さまのようにゆうゆうと生きぬいた愛すべき詩人。


 貧乏ながら「精神の貴族」といわれ、人々に愛された詩人の姿が浮かび上がります。彼と出会った人々の間では、彼の記憶が物語のように語られ、伝えられていったようです。この本の童話風の文からもそのことがわかります。

 一番印象に残ったのはこの詩。

博学と無学

あれを読んだか
これを読んだかと
さんざん無学にされてしまった揚句
ぼくはその人にいった
しかしヴァレリーさんでも
ぼくのなんぞ
読んでいない筈だ
 

 誰にでもわかる言い方で、心をぐらりとさせるようなことを言う。どの詩にもそんな印象があります。主義や主張ではなく、自分の言葉でできている。

 詩集も読んでみたいと思います。
 
 山之口貘さんの詩に、フォークシンガーの高田渡さんが曲をつけて歌っています。

好きなうたです。
(動画中のクレジットでは作詞作曲:高田渡となっていますが、作詞:山之口貘です)

2011年6月19日日曜日

「ビューティフル・マインド」

 これもまた今頃になってですが、DVDで「ビューティフル・マインド」観ました。

 ノーベル経済学賞を受賞した数学者、ジョン・ナッシュの半生を描いた映画。

 ラッセル・クロウ(ジョン・ナッシュ)も、ジェニファー・コネリー(奥さんのアリシア役)も良かった。ラッセル・クロウは、特に最後の「老数学者」の姿がすごくはまっていたし、アリシアの愛情と苦悩も迫ってくるものがあった。ルームメイトのチャールズも妙な存在感。

 ただ、お話としてはとおりいっぺんというか。もっと数学そのもの魅力とか、美しさとか伝わってくれば良かったのに。数学関係の仕事の参考になるかと思って借りたのだけど、そういう意味では参考にならなかった・・・。 

 ジョン・ナッシュについて、ノンフィクション的な映像作品か本があったら、そっちを観てみたいなと思った。

 amazon風にいえば、★★★☆☆でしょうか。

2009年4月25日土曜日

[読書日記] 『春になったら苺を摘みに』 梨木 香歩 

春になったら苺を摘みに (新潮文庫)春になったら苺を摘みに (新潮文庫)
梨木 香歩




読み終わったら、急に文章が書きたくなった。子どもの時、学生時代、仕事をしてから会った人たち。生まれた街、移り住んできた東京、旅先の外国の街で会った人たち。その人たちを通して、いろんなことを知ったり、考えてきたりした。その人たちのことを書きたくなった。 (書けることと書けないことはあるにしても)

「西の魔女が死んだ」の梨木香歩さんのエッセイ。英国滞在中に暮らした下宿の女主人であり、師事した児童文学者でもある「ウェスト夫人」(=ベティ・モーガン・ボーエン)との暗しを綴ったものだけれど、外国滞在話でもなければ、思い出話でもない。梨木さんが、ウェスト夫人とその周囲の人々を通して語る、「生きていくこと」についての話だ。

梨木さんの文体は、もともと英語の影響を受けた美しい日本語だけれど(村上春樹もそうだ)、このエッセイでは特に強くそう感じた。

2009年3月3日火曜日

[読書日記] Walk Two Moons  by Sharon Creech

Walk Two Moons (Trophy Newbery)Walk Two Moons (Trophy Newbery)
Sharon Creech


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祖父母とのおかしな長い旅の道中、主人公Salが語る物語。自分と両親、友達Phoebeとその家族、祖父と祖母のそれぞれの物語が、積み重なり、交差していく。

何度も登場する"Don't judge a man until you have walked two moons in his moccasins." (その人のモカシンで2カ月歩いてみないと、どんな人かは分からない)というフレーズに、この物語のメッセージがこめられている。Salは、変わっているけれども"another version of me"(もうひとりの自分)だと感じるPhoebeを通して、過去の自分、そしてそのときの家族の気持ちを知る。

同時に描かれているのは、13歳が見る大人の世界はビターだけれど、本当の大人の世界はもっとビターで、それでも希望のある世界だということ。物語の最後で、Salはそのことを知る。

洋書を読みとおす集中力も、スピードもない私が、続きが読みたくてたまらず、とうとう残り3分の1は徹夜で読んでしまった。個人的には、SalのボーイフレンドBenにどきどきしてしまった。子ども向けかもしれないけれど、大人こそ読んでほしい一冊だと思う。1995年のNewbery medal(アメリカの児童文学賞。1922年創設)を受賞。

memo
読み終わった日:2009/03/03
語数 :54000 


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2008年8月5日火曜日

メディア・バイアス

メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学
光文社新書 松永 和紀 (著)



食品や健康に関するメディア・バイアス(メディアによる情報の取捨選択のゆがみ(=バイアス))をあぶり出す、という本ですが、扱われているのは、記憶に新しい『発掘!あるある大事典Ⅱ』の「納豆ダイエット」のねつ造問題のような、(比較的)分かりやすい問題だけではありません。

「化学薬品」や「食品添加物」のようなリスクとベネフィットへの誤解、「オーガニック食品」や「昔の食事は健康」といった根拠のない安全神話、「マイナスイオン」のうさんくささや、「バイオ燃料」に隠された政治など、非常に幅広い問題について、具体的な「メディア・バイアス」の事例を紹介・解説していて非常に分かりやすい内容です。

ただ、この本は単にメディアの不備を指摘するメディア論の本ではありません。食品や健康を例に、科学全体の「メディア・バイアス」を生み出す社会全体のメカニズムを、メディアを観る私たちの視点から解き明かしてくれています。

そのメカニズムに登場するメディアは、「ねつ造」をする悪意だけでなく、「暴走」する正義感を持っていることがやっかいです。そして、このメカニズムには、不安感を抱えた消費者、研究者の売名行為、市民団体の思惑、さらにはそうした状況を利用する企業まで、さまざまなアクターが登場していて、非常に混沌としています。

もちろん、研究者、業界団体、メディア、それぞれに努力はしていて、そうした取り組みも紹介されています。しかしやはり、状況を変えるのは、私たち視聴者が賢くなることです。

松永さんは、巻頭でこう述べています。

ねつ造をののしるだけではダメです。情報の受け手が単純さを求めるのをやめ、メディア・バイアスを意識して、溢れる情報に疑問を持ち、質の悪いものについては「番組の途中でチャンネルを変える」「週刊誌を買わない」などと行動しないと、メディアは何も変わりません。


そして、最後の章は「科学報道を見破る10カ条」ですが、これはぜひ、本書を通読したあとに読んでほしいと思います。

科学(理科)をなぜ勉強するのか、という問いに対する答えの一つは、インチキな情報(メディアを含めて)にだまされないため、だと私は考えています。

科学教育の場でも、ぜひメディア・バイアスの影響について教えてほしいものです。